クロネコ屋さんのVoicyを聞いて

今、社会で問題になっていることで、その内容によりけりですがブログやSNSの発信に制限がかけられることがあるということは周知の事実です。

Googleが人生に関わる事に制限をかけるのは理解できます。名前も顔も出さない人が情報を出しています。利害を含んだガセネタが混じる可能性は大いにあるでしょう。それに恐ろしいほどの情報量です。その情報全てを精査できません。

しかし、最近はGoogleのみならず、国も制限をかけています。

わたしは面倒なことが嫌いなので、絶対に国を批判するようなことは書かないのですが、ある特定の言葉が出てくると総理の顔写真付きの警告文がブログ上部に出てきます。

だから、〇ロナ禍 とか、〇急事〇宣言 というように修正しています。

インフルエンサーの方々も、この話題に触れる方が少ないです。分かります。わたしのような弱小なブロガーでも「〇ロナ」とか書くのですから、影響力を持った方々はこの話題に触れることに躊躇されるのは当然のことでしょう。

クロネコ屋さんのVoicy#43の放送で
「ブロガーは時事ネタに触れないのは良くない」
というお話がありました。

その通りだと思いました。

クロネコ屋さんは普段はWebマーケットに関する内容の発信をなさっています。#43回は珍しく時事ネタで、
「〇ロナにより人々を分断していることについてのニュースをどう読み解くか」という内容の解説でした。

誰にも嫌われないように、そういうことについては一切触れない。環境問題やもっと小さなトピックでも、一切意見を言わないようなブロガーの発信には誰も関心を持たない。

 

嫌われることを恐れて自分の意見を言わないブロガーは炎上しない。炎上はしないけれど、そのブログはおもしろくない。ブログを訪問してくれる人はブロガーの意見を読みたくて訪問してくれている。だから、自分の意見を言って100人に嫌われても1人に推してもらえるようなブログは見る価値がある。

とおっしゃられたとき、
「わたしは、間違っていなかったのだ。」
と大きく安堵しました。

だから、意見をいいますと
注射をするかしないかは、かかったときに重症になった場合のリスクと、注射を打つことのリスクを天秤にかけて判断するべきで、打たない人を批判したり、打とうと思っている人に打つことのリスクを言うのはいかがなものかと思います。それは自分で決めるものであって、誰かがその判断をどうこう言うのはおかしい。まして、打つか打たないかについて国が国民に規制をかけるようなムードを作るのはいかがなものかと思います。

打つ方が良いと思っている人は打てば良い。やめた方が良いと思う人はやめれば良い。

打ったとしてもかかるし、うつす可能性は打たない人と同じ。
それならば、打つか打たないかは個人の判断にゆだねるべきでしょう。

これがわたしの意見です。加えて言うなら

今現在わたしは打つつもりはありません。軽く見ているのではなく。わたしの持病を考えると打つリスクは大きいからです。

#クロネコ屋さん
#Voicy

 

 

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