メンタリストDaiGo さん、炎上されてますね。
謝罪されましたが、世間の反響はどうなのでしょうね。
十分反省されたのでしょうが、そうは見えないので一言二言、言わずにおれない人がたくさんいます。
ホームレスの方々が残してくれたものはたくさんあります。
DaiGo さんが認める「頑張っている人」とはどんな人なのでしょう。
DaiGo さんは「額に汗して働く労働者」は 頑張っている人と認められますか?
DaiGo さんは、多分額に汗せず収入を得ている人ですよね。でも、ご自身は頑張っていると自信を持っておられると思います。
そもそも、頑張っているか、頑張っていないのかを判定する基準をDaiGoさんが決めることに疑問を感じます。
戦争でさんざんになった日本の道路が整備され、高いビルが立ち並び、どんどん豊かになって行きました。高度成長と呼ばれた頃から目覚ましい発展を遂げた日本です。
昭和33年に東京タワーが完成。
昭和39年に東京オリンピックが開催。
それに合わせた東海道新幹線がオリンピックの直前に開通しました。
数え上げればもっともっとたくさんありますが、
道路を作る。新幹線を通す。大きなビルを建てる。東京タワーを作るのも、昭和45年の大阪の万博も
これら全てが地方から東京や大阪に出てきた労働者により完成されました。これらは彼らの力なくしてできませんでした。
全ての道が整備され、オリンピックも万博も終わってしまい、ビルは十分過ぎるくらいに建ってしまった後は、彼らに仕事がなくなりました。
それなら、田舎に帰れば良い、という訳にいかなかったのです。
地方に住む農業従事者が農閑期に季節労働者として都会の建築現場で働いたことが、そもそもの成り立ちです。
戦後の高度成長の発展はめざましく、道路や高層ビルの建設ラッシュは地方から出てきた労働者によって支えられました。
彼らは田舎にいた頃は、当たり前に毎日野良仕事をしていました。
農家は現金収入に乏しく作物は天候次第なので不安定といえば不安定です。経済的な不安はどこの農家でも当然のようにありました。
東京で建設の仕事の労働者の募集があり、彼らは出稼ぎの労働者として働きに行きました。
それ以前から雪国から農閑期だけの出稼ぎの季節労働者はいましたが、彼らは春になれば帰ります。
しかし、その頃の都市計画には冬の間だけの労働者では到底足りず、もっと長く現場で働いてくれる労働者が必要でした。なにしろオリンピックの開催の10日前に、新幹線の開通が何とか間に合ったという事実は現場がどれほど大変だったかが容易に推測できます。
彼らは季節労働者でありましたが、田植えと稲刈りのわずかな期間。それと現場が休む年末年始の4日間しか家に帰れない契約でした。
こんなに厳しい条件なら正式にどこかの建設会社に就職させてくれれば良さそうなものですが、いわゆる真冬の間限定の季節労働者と同じく公共工事の現場で働くだけの非正規の雇用です。タコ部屋と呼ばれる狭い部屋に大勢住まわされるひどい住居をあてがわれ、仕事も大変厳しく、現場の監督は納期のことしか考えていません。彼らをまるで機械仕掛けのロボットを扱うかのように働かせたということです。
当時は各家庭に電話がなかった時代でした。簡単に連絡が取れない状況だと、農地を年老いた両親と妻に任せて働きに出るのは気がかりだったでしょう。田植えの休暇まであと何日、年末の休暇まであと何日と家族が待つ家に帰るのを楽しみに仕事に励んだのだそうです。
農家に生まれた長男は跡継ぎとして家督を相続します。豪農であれば、次男以下が結婚すると田畑を分け与えますが、豪農でない場合は跡継ぎがいない農家の養子になるのが概ねでした。
当時の農家はどこでも金銭的に厳しい状態だったので、毎日野良仕事をしていても小遣い銭にすら事足らないのが実情でした。その点、出稼ぎに出ると自分の働きの賃金を現金でもらえるのが大変ありがたく、特に次男以下で独身の若い青年は親元を離れた解放感も手伝って、田植えや稲刈りに帰るよりも日雇いの仕事を取った方が良いと考えました。
農繁期に帰らなければ、年末年始は帰りづらくなります。段々と田舎から足が遠のきました。
そのうち両親が亡くなってしまうと、本当に帰る家がなくなってしまいました。
それでも仕事はたくさんあるし、野良仕事で鍛えた丈夫な体が元気なうちは差し当たっての不安はなかったのだと思います。
ところが、その仕事がなくなってしまいました。道路はどこも整備されつくし、ビルは完全に立ち並んでしまうと彼らの仕事は激減しました。
もちろん、仕事はゼロではないです。補修作業とかが少しあります。5つの求人に何十人も応募するようなことになってしまいました。仕事がない日は食べられない。その日は路上で寝る、という生活をしているうちに体を壊す。体を壊さなければその生活のまま年を取る。
これが、ホームレスの概ねの成り立ちです。もちろん他のパターンもあるにはあります。誰かの借金を負わされて逃げる選択をした人や、自殺する代わりにその地にたどり着いた人もいます。
生活保護の受給者は同上のパターンもあるでしょうし、更に複雑な可能性もあるでしょう。
DaiGo さんは、有名人だから何かを発言するとそれが大きな反響になりますが、同じ考えの人も一定数いらしゃると思います。
先を見通す目を持たなかった彼らにも責任はあるかもしれません。しかし、一時的な労働力を地方から得たいのであれば、予め雇用の期間を取り決める契約をを企業なり国なりがしておくべきであったのではないでしょうか。
もし、これが今の世の中ならば労働者をキチンとした条件で雇用するシステムを考える人がいると思いますし、当時それを行った人もいたはずですが、そういういわゆる救済のシステムは、保険や保障の経費がかかるので、日雇いに比べるとどうしても給料が安くなってしまいます。
昭和30年代から40年代の日本の経済は、勢いはありましたが知識や基盤が十分ではなかったので、イケイケどんどんでいろんなものが出来上がっていきましたが、そこに埋もれている問題点を考えることはしませんでした。
毎日田畑と家を往復するだけの生活から解放された若者は、日銭を得て赤ちょうちんで疲れと寂しさを紛らわしていたのでしょう。お酒を飲みながら将来のことを考て不安になることが何度もあったに違いないはずです。
将来の不安から逃げて、劣悪な生活環境と厳しい肉体労働に甘んじる地獄の毎日です。故郷へは帰れません。
路上生活をするに至った道程は、彼らの見通しが甘かったせいもあるし、同じように働いていた人たちの中には都会で自分の生きていく道を見つけた方もいらっしゃいます。だからツッコミどころは満載ですが、それまでの生い立ちで我慢を強いられてきたら、与えられた環境で勤勉に働くことしかできず、自分が得を取るという選択ができなかったのは理解できます。
最悪の地獄から抜け出せない人はどこにでも、いつの時代でもいます。その人たちは何らかの犠牲者になっています。それは彼らが悪いのだ。自業自得だと言い切る人が一定数いらっしゃいますし、その中の一人がDaiGoさんなのでしょう。その方たちが主張されることも分かります。その方たちの中にはDaiGoさんのような高額な納税者の方が少なからずいらっしゃるのではないかと思います。
社会福祉に税金が使われるのが馬鹿らしいのでしょうね。だったら何に税金が使われたら納得するのですか?通信の良い電波塔の建築ですか?大幅な高速道路ができれば走りやすいし混むこともなくなりますね。それよりもっと飛躍して、月や火星で人類が生活するための研究ですか?
そういったことの全てといっても差し障りないほどのことを、昔彼らがしてきたことなのです。
電波塔の建設や高速道路を作るための労働力は、すでに国内ではなく海外からの導入になっています。つまり、結局のところ同じことなのです。路上生活を余儀なくされている方々が過去に労働を提供して出来上がったものが東京タワーであり高速道路です。
体をはって仕事をしている人はたくさんいます。その人が病気をしたり、年を取って働けなくなったら社会の邪魔者ですか? 彼らが残してくれた恩恵を私たちは日々享受しています。